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古き良き日本の文化を残していきたい!葬儀から推し活までカバーする
造花事業有限会社青木造花 代表取締役 青木英和氏

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ハレ街メディアでは、未来のハレを創り出す挑戦者たちの物語を発信しています。今回は、花輪や盛篭といった葬祭・イベント用品の販売を手掛ける有限会社青木造花(埼玉県志木市)の代表取締役 青木英和氏に取材を実施。創業の経緯や事業への思い、社長が考える「ハレノヒ」についてお話を伺いました                                (聞き手:ハレノヒハレ 大塚辰徳 編集:ライフメディア 岸のぞみ)

受けた依頼は断らない! 葬儀から推し活まで幅広く対応

まずは御社の事業内容について改めて簡単にお聞かせください。

青木英和氏(以下、青木氏):当社では、葬祭用の花輪、祭壇、看板、テント、盛籠等を取り扱っています。これまで葬祭用がメインでしたが、近年はお祝い用・イベント用のお花も増えてきています。主に若い女性の方からのご依頼で、「推し活」関連の需要もあり、スーパーアリーナやライブハウスなどに花輪をお持ちしたり、結婚式場や工場長の還暦お祝いなどに花輪をお出ししたりといった需要もあります。この間はとしまえんの開業100周年記念のイベントでも花輪を配送させていただきました。

そんな青木造花の強みや特徴についても改めてお聞かせください。

青木氏:お客様からのご依頼はなるべく断わらないようにしていることですね。基本的には埼玉県志木市近郊をメインにしていますが、配送費をいただけるのであれば遠方までお届けすることもあります。東京や千葉にもお届けしますし、所沢の西武園ゆうえんち、さらに遠方では栃木県足利市までお届けしたこともあります。

なるべく多くのお客様を引き受けたいという気持ちがあることはもちろんですが、花輪がいろんなところで人の目につくこと自体も大切だと思っているんです。花輪があることが素敵だと思っていただけるとうれしいですね。記念写真を撮って喜んでくださるお客様もいらっしゃり、やりがいがあります。

衰退する業界の中で関連事業に勝機を見出す

青木造花は2026年で創業40年超になりますが、創業の経緯についてもお聞かせください。

青木氏:私の祖父が花屋を営んでいたことから、父の兄が葬儀屋を、弟が生花屋を手がけるようになりました。父はもともと実家とはまったく関係のない葬儀会社に勤めていましたが、あるとき脱サラし、1985年に青木造花を創業しました。

 造花事業を始めようと思った理由については、晩年、「手っ取り早く始められそうだったから」なんて言っていましたが、私の想像では、おそらく実家や親族と競合しない事業で勘所がわかり、かつ当時はまだ自宅葬儀が多く需要も見込めたので将来性を見出したのではないかと思いますね。

 父が脱サラしたのは私が小学生の頃のこと。しばらくして私が14~15歳の頃に造花店に修業に行くと言って出ていき、1日で辞めて帰ってきて、そのまま青木造花を始めました(笑)。豪快な人物だったんですよ。私が野球部の練習でグラウンドにいると「仕事を手伝って!」とトラックに乗って学校まで迎えに来たことは今でも覚えていますね(笑)。高校に入るとアメフト部に所属してガソリンスタンドでアルバイトを始めましたが、父はアルバイト先にも現れていました。

 私にとっては1回500円のアルバイトで、はじめは「ここを持って」「ここを抑えて」と父に言われるままに花輪設置などを手伝っていましたが、徐々に花輪の組み方なども覚えて、1人で設置できるようになりました。

仕事を手伝っていると次第に「実家と家業を守らないと」という責任感が芽生えるようになり、高校卒業後は青木造花に就職することを決めました。幼い頃から料理が好きだったので日中は青木造花で働き、夜は居酒屋の厨房スタッフとして夜中2時まで勤務、そのまま実家の倉庫の2階で寝るような生活でしたね。盛篭に使う果物を見る目は居酒屋での経験が生きていると感じます。なぜか冬場に葬儀が多く、繁忙期には近所の方々にパートに来ていただくなどして乗り切りました。

経営のご苦労についてもお聞かせください。

青木氏:花輪といえば、20~30年前は葬儀会場に何台もズラリと並べるのが当たり前だった時代がありましたが、徐々に予算や会場の広さなどの影響で1台しか置けないところも増え、花輪文化が衰退していきました。

1996年頃になるといよいよ自宅葬儀が減少し、葬祭場で式を挙げることが一般的になると花輪の需要も激減。経営も厳しさを増し、父とも衝突することが増えていきました。

そのような辛い時期をどのように乗り越えられてきたのでしょうか。

青木氏:経営については40歳のときに私が代表取締役に就任し、父と経営を交代しました。事業については、業界全体が縮小してきたからこそ見えてきたチャンスがあったのです。

実は、自宅葬儀が減少したことで、花輪業者は元より八百屋や看板業者など、葬儀に関連していた事業社も次々と廃業していきました。するとそれまで業者が担っていた看板や盛籠、テント張り、祭壇の設営といった委託先がなくなり、葬儀事業社が困っていることがわかってきたのです。

需要は減っているけれど0ではないと感じ、できる範囲で周辺事業も工夫して引き受けるようにすると、何とか経営を持ち直すことができました。現在も盛籠やテント、祭壇などを請け負っていますが、これらはこの頃から始まったものです。また、ホームぺージも開設し、新規や遠方のお客様にも対応できるよう体制を整えていきました。

花輪の文化を残していきたい!

今日(取材日)は生憎の雨模様です。今日の空を人生に例えるとどのようなものになりますか?

青木氏:実は私はスーパー雨男なんですよ! 楽しみにしている行事はだいたい雨で、旅行に行ったら台風が直撃して写真撮影すらままならないことも。今度の家族旅行は晴れるといいなと思っていますが、雨なら私らしいなとも思います(笑)。

 仕事のうえでは雨の日や風の強い日、台風の強い日などは花輪が倒れてしまわないように、あらかじめ横に倒しておくなどトラックで見回りをしています。そんな日常を思い出しますね。

そんな青木社長にとって、これまでで一番の「ハレの日」はどのような日でしたか?

青木氏:この間、一軒家を改装してワインバーをオープンしたお店に花輪を届けに行ったのですが、すごく喜ばれてワインをごちそうになり、「記念に写真を撮ってほしい」と言われて花輪と一緒にお客様の写真を撮らせていただきました。

 他にも「お金はいくらでも出すから」と推し活で花輪をご希望されたお客様がいらっしゃったのでラフをいただいてなるべく忠実に再現したところ大変喜ばれたり、ネオンサインを練り込んだ特別仕様の花輪を後輩の結婚式で披露したところ「また作ってほしい」とリピートをいただいたり。やはり喜んでいただけることがいちばんうれしいので、そんな日々の幸せを感じる瞬間がハレの日かもしれませんね。

 リアルな「ハレ」の日は、14年前に草津に1泊2日の家族旅行に出かけた日でしょうか。雨男にしては珍しく、きれいな青空の広がるハレの日だったんですよ(笑)

最後に、未来の晴れを実現するために最も大切にしていること、そして今後の展望についてお聞かせください。

青木氏:「青木さんに頼めば何とかしてもらえる」と言ってもらえるよう、目の前の仕事に一生懸命取り組むことですね。いまある仕事を継続していくことがまず大切で、「いろいろ探し回って、やっと花輪を出してくれるところを見つけました」と言っていただくことも少なくありません。

 先ほどもお伝えした通り、花輪事業社は減少しています。でも0にはならないようにしていきたい。私自身は「温故知新」という言葉が好きなんです。文化が廃れてはまた新しいものに切り替わる、そんな先を急ぎすぎる世の中ではありますが、のんびり振り向いてみると花輪のような素敵な文化もある。葬儀や催事にはやはりこれが必要だと言っていただけるような、「必要なもの」をこれからも作り、残していきたいと思います。

ありがとうございました!

取材を終えて 撮影小話

大塚:いちばんはじめにお会いしたのは4年以上前になりますね。朝霞法人会の企業様をいろいろと訪問させていただいていたのですが、お会いしようとしてもご不在のことも多く、はじめはなかなかお会いできませんでした(笑)。そのうちにいろいろお持ちだった保険を整理したいというお話をお伺いし、ご説明のお時間をいただくことができました。

青木氏:もっと長い付き合いのような気がしますね。基本どたばたしているから、なかなかゆっくりとお話しする機会がなかったのですが、実際お会いして、俺の目は狂ってなかったなと思いましたね。この人おもしろい! と思いました。

大塚: 恐縮です。今ではゴルフをご一緒する仲にもなれてうれしく思います!

青木氏:大塚さんには、私の明るい老後を任せたよ、という気持ちですね(笑)

大塚:がんばります!笑