湘南・藤沢を拠点にSEO(検索エンジン最適化)やWeb制作、広告運用などデジタルマーケティング全般で企業の成長を支援するニュートラルワークス(神奈川・藤沢)の代表取締役・三木五月(みき・さつき)氏に取材を実施。大手出版社からの独立、湘南での創業、そしてAI(人工知能)時代におけるSEOのあり方まで、三木氏が大切にする「誠実さ」と「自然体」の哲学について迫りました。
(聞き手:ハレノヒハレ 代表取締役 稲葉晴一 編集:内田勝治)
安定したキャリアを捨てて選んだ「目が死んでいない」人生への挑戦
まずは、現在の事業内容について教えてください。
三木五月社長(以下、三木氏): 弊社の事業は、クリエイティブ(制作)、広告運用、そしてSEOの3つを大きな柱としています。一言で言えば「デジタルを活用した企業の集客支援」です。
キャリアの出発点と創業に至るまでの経緯をお聞かせください。
三木氏:私のキャリアを語る上で欠かせないのは、前職である文藝春秋(東京・千代田)での経験です。スポーツ総合雑誌『Number』で4年ほどWebデザイナーとして働きました。日本を代表するスポーツメディアの最前線は、一流のアスリートや記者の熱量に触れられる非常に刺激的な現場でした。しかし、30歳を目前にした頃、ふと自分の将来に疑問を感じたんです。
当時、私は二子玉川(東京・世田谷)に住み、半蔵門の会社まで電車で通勤していました。その満員電車の中で目に入ってきたのは、つり革に捕まりながら、どこか遠い目をしているサラリーマンの方々の姿でした。そして、もし自分がこのまま組織に居続けたら、60歳になった時に自分も同じような目をしているのではないか……。そう思うと、言いようのない恐怖、背筋が凍るような感覚に襲われたんです。
その「恐怖心」が、安定を捨てる決断をさせたのですね。
三木氏:文藝春秋は待遇も良く、社会的信用も高い素晴らしい会社でした。しかし、一度きりの人生、自分の腕一本でどこまでやれるか試したい、自分の足で立ちたいという思いが勝りました。当時は31歳。「転職35歳限界説」なんて言葉もありましたから、チャレンジするなら今しかないと。ただ、すでに結婚していましたから、何の戦略もなく飛び出すわけにはいきません。
そこで私は、会社に在籍しながら、独学で身につけたWeb制作のスキルを生かして、夜間や休日に副業を始めました。当時は必死でしたね。本業が終わってから深夜までサイトを作り続ける日々を続け、副収入が本業の給与を上回るめどが立ったところで、妻に「35歳までに必ず形にする。死ぬときに後悔したくないんだ」と頭を下げて独立しました。今思えば、あの時の「危機感」こそが、経営者としての原点です。
創業の地として、なぜ東京ではなく湘南を選ばれたのでしょうか。
三木氏:実は最初からバリバリの起業家を目指していたわけではなく、Webで稼ぎながら海外を旅するような、自由なライフスタイルに憧れていました。高知県の四万十川の近くや屋久島への移住も本気で考えましたが、やはりビジネスをする上で東京のクライアントと対面で会える距離感は無視できない「アドバンテージ」になります。
都会の利便性を享受しつつ、自然の豊かさも享受できる。その「良い意味での中立的な場所」が、妻の地元でもある湘南でした。湘南は都会すぎず、田舎すぎない。空が広く、海がある。この環境が、クリエイティブな思考には不可欠だと思ったんです。
また、湘南でのビジネスには独特の可能性があります。都内から移住してきた優秀なクリエイターやエンジニア、元大手企業出身のプロフェッショナルたちが実はたくさん住んでいるんです。彼らもまた、満員電車に揺られる生活に疑問を持ち、海を感じながら質の高い仕事をすることを求めている。そんな優秀な人材の「受け皿」になれるような会社を作りたい。それがニュートラルワークスの出発点でした。
「見た目」の先にある「成果」への執念
御社の強みであるデジタルマーケティング事業について、具体的に深掘りさせてください。
三木氏:私が何より執着しているのは、サイトを作ったその先にある「投資対効果(ROI)」です。独立当初、私はWebデザイナーとして仕事を受けていました。しかし、いくら見た目が綺麗で洗練されたサイトを作っても、そこに人が集まらなければ、それは「砂漠の真ん中にある豪華な邸宅」と同じです。お客様が大切なお金、時には1000万円を超えるような予算を投じてくださる以上、それ以上の利益を会社にもたらす「武器」を提供しなければ、プロとして失格だという強い信念があります。
特にSEOにおいては、非常にマニアックかつ専門的な領域まで踏み込んでいます。今のSEO業界では「質の高い記事をたくさん書く」ことが主流とされています。しかし、実はそれだけでは絶対に勝てない領域が多々存在します。私たちが日本一の自負を持って取り組んでいるのは、サイトの評価を根本から底上げする「外部対策」、つまり良質な「被リンク」の獲得支援です。
これは非常に泥臭く、専門知識と根気を要する作業です。Googleがサイトの価値を判断する際、依然として「他からどれだけ信頼されているか(リンクされているか)」という指標は極めて重要です。しかし、これを安全に、かつ効果的に行える会社は日本でも極めて稀です。
具体的に、その強みが生きたエピソードなどはありますか?
三木氏:ある時、名古屋に拠点を置く一部上場企業の案件で、競合他社が誰もが知る大手広告代理店だったことがありました。先方は洗練された資料とプレゼンで華やかな戦略を展開しましたが、私は直接、名古屋まで何度も足を運び、膝と膝を突き合わせてお話ししました。
結果として、私たちの熱意と専門性が認められ、コンペを勝ち取ることができました。運用開始後、流入数は2年で約3倍にまで伸び、クライアントの売り上げに直結する成果を出せました。大手が「空中戦」で全体論を語る中、私たちは「地上戦」で一歩ずつ確実に陣地を広げていく。その姿勢が、今の信頼に繋がっているのだと自負しています。
「ニュートラル」という社名には、どのような哲学が込められているのですか?
三木氏:当初は、クライアントとユーザー、あるいは技術と表現の間に立つ「中立的な視点」という意味でした。クライアントが「これがいい」と言ったとしても、それがユーザーの利益に反するなら、プロとしてNOと言うべきです。常にユーザー目線という中立の立場から、最善の策を提案できる存在でありたいと考えていました。
しかし10期目を迎えた今は、もう少し意味が深まっています。「自然体」で無理に背伸びせず、お客様に対しても、社員に対しても、自分の心に対しても嘘のない状態で向き合う。最近では「中立的であること」以上に「誠実であること」の象徴として、この社名を大切にしています。

インドでの「沈没」と盟友の裏切り
三木社長の歩みを伺うと、非常にタフで胆力のある印象を受けますが、その精神的なルーツはどこにあるのでしょうか?
三木氏:19歳の時に経験した半年間のインド旅行、いわゆる「バックパッカー」としての原体験が大きいかもしれません。当時、音楽(サイケデリック・トランス)にのめり込んでいた私は、世界中のヒッピーが集まるインドのゴアという地を目指しました。そこで安宿を転々としながら、月3〜4万円ほどで暮らす生活を送っていました。
インドでの生活が今の経営にどう繋がっているのですか?
三木氏:実はその時、現地で出会ったイスラエル人の女性と一緒に、日本食とイスラエル料理のレストランを作って運営していたんです。もちろんライセンスなんてない、無法地帯のような場所でしたが。日本にいる親に食材を送ってもらい、現地のマーケットで手に入れた食材と組み合わせて、バックパッカー向けに提供していました。
そこで学んだのは、「どんな環境でも、知恵と工夫があれば商売は成立する」という本質的な生存本能です。言葉も文化も違う場所で、自分たちの価値を提供してお金をいただく。その経験があったからこそ、「最悪、全てを失ってもインドでレストランをやれば生きていける」という、変な自信が芽生えました(笑)。レールを外れることを恐れず、むしろ誰もいない道を行くことに楽しみを見いだす。そのマインドが、文藝春秋を辞める時の決断を支え、独立後の荒波を乗り越える力になりました。
独立後、実際に直面した最大の試練は何でしたか?
三木氏:創業2〜3年目の頃、信頼していた創業メンバーの役員に横領をされたことです。元々古い友人で、私は彼を100%信頼し、会社の財務をすべて任せていました。友人だからこそお金のことは聞きにくい、細かくチェックするのは失礼だという甘えがありました。しかしある時、不審な点に気づいてふたを開けてみれば、かなりの額が流出していました。
あの時は、目の前が真っ暗になりました。金銭的な打撃以上に、信じていた友人に裏切られたという精神的な苦痛の方が大きかった。結局、裁判沙汰になり、人間不信にもなりました。しかし、会社を潰すわけにはいかない。私は一人で現場に戻り、ガムシャラに営業し、既存のクライアントに一軒一軒回って頭を下げ、信頼を繋ぎ止めました。
その経験から、何を学ばれましたか?
三木氏:経営者としての「冷徹なリアリズム」です。人は信じても、仕組みは疑う。そして、売り上げという華やかな数字以上に利益、そしてキャッシュこそが会社の命綱であるということ。今ではどんなに業績が良くても、資金繰りやコスト構造には極めてシビアに向き合っています。また、新型コロナウイルス禍の時期も、特定の業界に依存しない顧客ポートフォリオを組んでいたおかげで、壊滅的な打撃を避けられ、むしろデジタルの再認識という波に乗ることができました。
今は社員も20名を超え、男性4割、女性6割という比率になっています。女性社員の皆さんのきめ細やかなサポートとプロ意識には、いつも助けられています。オフィスで楽しそうに、かつ真剣に仕事に向き合う彼女たちの姿を見ていると、かつて満員電車で見た「死んだ目」とは対極の世界を、自分は作れているのではないかと少しだけ誇らしく思います。
湘南から発信するデジタルマーケティングの未来
デジタルマーケティングの世界は、AIの登場によって変革の中にあります。これからの展望についてお聞かせください。
三木氏:おっしゃる通り、AIの台頭は私たちの業界にとって最大の脅威であり、最大のチャンスでもあります。これからのSEOは、単に「検索エンジンに評価される」だけでなく、AIが情報を収集し、要約してユーザーに提示する際の「情報源として選ばれる」ための施策が不可欠になります。
しかし、技術がどう進化しようとも、情報の根底にある「誰がどのような意図で、どれだけ誠実に発信しているか」という信頼性の評価基準は変わりません。むしろ、AIが似たような記事を量産する時代だからこそ、私たちが得意とする「ドメインそのものの権威性」や「リアルな一次情報の価値」は、さらに希少性を増していくでしょう。
今後の事業として注力していきたい領域はありますか?
三木氏:今後は、リユース業界など社会的な意義と成長性の高い特定領域への支援を深めると同時に、自社でのストックビジネスの構築にも挑戦したいと考えています。私たちは単なる「下請けの制作会社」ではありません。クライアントのビジネスモデルを共に考え、時にはリスクを取って並走するパートナーでありたいと考えています。
また、社内ではAIを徹底的に活用し、単純作業を自動化することで、人間がよりクリエイティブで本質的な戦略立案に時間を割ける体制を構築しています。「人を増やすこと」だけを目標にするのではなく、「少数精鋭で最大のインパクトを出す」組織を目指しています。
これまでの人生を空に例えると、どんな天気になりますか?
三木氏:正直なところ「曇りのち嵐、時々豪雨」のような日々でした(笑)。でも、ようやく今、雲の切れ間から力強い「晴れ間」が差し込んできた感覚があります。
今期、来期の数値的な手応えももちろんですが、何より嬉しいのは、稲葉さんのような、損得勘定抜きで信頼し合える経営者仲間との絆が深まっていることです。私の「未来のハレ」は、この湘南の地に、自分たちのような熱意ある会社が一つ、また一つと増えていくこと。湘南を「デジタルマーケティングの聖地」にしたい。そんな大きな夢を描きながら、明日からも自然体で、波を乗りこなしていきたいと思っています。
ハレ街メディアの読者である経営者の方々に、伝えたいメッセージをお願いします。
三木氏:Web活用に興味はあるけれど、過去に失敗したり、効果が実感できなかったりして足が止まっている経営者の方は多いと思います。私からお伝えしたいのは、「流行りの言葉に踊らされないでほしい」ということです。SEOが正解とは限りません。業種やターゲットによっては、SNSでのファン作りや、昔ながらの対面営業をデジタルで補完する形の方がはるかに効率的な場合もあります。
私たちは「誠実であること」を社是としています。勝てない戦いに、お客様の貴重な資金を投じさせることはしません。もしご相談をいただいて、調査の結果「今の状況ではSEOは非効率です」と判断すれば、正直にそうお伝えします。そして、別の最適なルートを一緒に考えます。その「嘘のない対話」こそが、企業の長期的な成長には不可欠だと信じています。

取材を終えて 撮影小話
三木氏:稲葉さん、今日は改めて私の過去まで聞いていただいてありがとうございます。インドの話なんて、普段あまりしませんから(笑)。
稲葉:三木さんのルーツがインドのレストランにあったなんて驚きました。でも、だからこそ三木さんの提案には「理屈」だけじゃない、商売人としての「勘」と「誠実さ」があるんだなと納得しました。SEOというブラックボックスになりがちな分野で、ここまで手の内を明かして誠実に並走してくれる人は他にいません。
三木氏:そう言っていただけると本当に報われます。稲葉さんには弊社のサイト改修だけでなく、資産形成のアドバイスでもお世話になりっぱなしで。私は稼ぐ方は得意ですが、守る方がからっきしでして…(笑)。
稲葉:三木さんは「攻め」の天才ですから、私はその背中を守る役割でありたいと思っています。三木さんがご紹介してくださる経営者の方々も皆さん素晴らしい方ばかりで、三木さんの「人を見る目」の確かさをいつも感じています。
三木氏:それはお互い様です。稲葉さんがいるから、私は安心して前だけを見ていられる。これからも、ビジネスの荒波を一緒に面白がれるパートナーとして、よろしくお願いします。
稲葉:もちろんです。仕事の成果もしっかり出しつつ、たまにはゴルフでリフレッシュしましょう。三木さんの人生がいつも「快晴」であるように、私も全力で伴走し続けます!


















