江戸時代中期より300年続くうなぎ割烹「伊豆榮(いずえい)」(東京都台東区)の九代目にして、女将としても店を切り盛りする土肥好美氏に取材を実施。航空会社のグランドホステスから老舗の家業を引き継ぎいで30年。うなぎを取り巻く厳しい環境や、伝統を守りながら断行した「働き方改革」、そして伊豆榮が目指す次なる300年へ向けてのビジョンについて、熱い思いを語っていただきました。
(聞き手:ハレノヒハレ 大塚辰徳 編集:内田勝治)
「おいしいものを提供したい」砂糖を使わない辛めのタレが大好評
まずは事業内容について簡単にお聞かせください。
土肥好美社長(以下、土肥氏):徳川八代将軍吉宗公の時代に創業したうなぎ料理店です。ただ、うなぎだけではなく、昭和の頃からは日本料理全般もやっており、和食店として商いをしております。現在は上野で本店、不忍亭、梅川亭の3店舗を構えています。
伊豆榮ならではの伝統やこだわっている点は何ですか?
土肥氏:こだわりはシンプルに「おいしいものを提供したい」ということに尽きると思います。うなぎのおいしさを追求し、お客様に提供したいという思いだけを貫いてきました。代々、砂糖を一切使わない辛めのタレも多くのご好評をいただいております。
伝え聞いている創業の経緯を教えてください。
土肥氏:初代は武士で、稼業だけではやっていけない時代に、刀にまつわる仕事をしていました。その刀で、不忍池(しのばずのいけ)で捕れた魚をさばいたことが、伊豆榮の始まりです。
不忍池は、非常に低い土地に水が溜まった池で、その先は川、そして海へと繋がっていました。そのため、天然のうなぎがたくさん生息していたのです。かつては上野だけでうなぎ店が30軒以上もありました。
うなぎのさばき方には関東と関西で大きな違いがあります。関西は腹開きですが、関東は背開きです。これは、切腹を嫌い、腹開きを避けたという説が残っており、伊豆榮でも関東流のさばき方を守っております。さらに、関東ではさばいた後に蒸す工程が入りますが、関西にはそれがありません。蒸すことで身がふっくらと柔らかくなるのが特徴です。
女将、そして代表取締役社長になられた経緯は?
土肥氏:私は短大を卒業後、ANAに入社してグランドホステスとして働いていたのですが、先代の女将である母が倒れてしまい、30年前に実家の伊豆榮へ戻ってきました。
元々は職人になりたかったんです。料理を作るのも好きで、調理師試験も受けたりしていました。日本の食文化、特に職人さんの数が少なかったうなぎの世界には興味がありましたが、まさか自分が女将や代表取締役社長になるとは思っていませんでした。
老舗店を継いでみて苦労したことはありましたか?
土肥氏:最初は着物の着付けも分からず、髪の毛一つ結うこともできなかったりと、大変なことだらけでした。中学・高校の頃に手伝いとして厨房で洗い物をしたりしていたので、職人さんたちとは面識はありましたが、女将の仕事は全く分かりませんでした。どういった商品があるのか、どういったお客様がいらっしゃるのかも分からなかったので、非常に苦しかったですね。
当時、上野の他に池袋、永田町、浅草、吉祥寺などに8店舗ありました。現在は3店舗まで集約しました。店舗を閉鎖した背景には、父の代で事業をどんどん伸ばしたことによる資金繰りの問題がありました。父はアイデアマンで、土地を買ったり建物を建て替えたりして事業を伸ばしましたが、その返済をしながら、資金がいろんなところから漏れていたという状況がありました。リーマンショックや東日本大震災が起こった時は、資金繰りが回らず、本当に大変な時期を過ごしました。
その資金繰りを立て直すために、店舗を閉めるというご決断をされたのですね。
土肥氏:はい、そうせざるを得ませんでした。現在残っているのは自社物件の3店舗のみです。当時、吉祥寺の東急百貨店さんの地下店舗など、個々には利益が出ていたところもあったのですが、全体的な経営を考えた場合、本店からウナギを持って行き、向こうで職人を使って、というようなやり方では、どうしても私の目が行き届かない部分が出てきてしまいます。自分の目が行き届かないところは不安なんです。余計な心配がなくなったことで、今はしっかりと3店舗に注力して経営ができております。
女将と代表取締役を両方務められた方は過去にいらっしゃいますか。
土肥氏:私が初めてです。8年前から代表取締役を兼任し、現場も見ながら経営面をやりくりしています。大変なポジションですが、振り返ってみると、30年はあっという間でした。資金繰りの苦労や会社のあり方など、色々と考えさせることが多かったですね。

厳しさを増すうなぎの国際取引と価格高騰の波
近年、ワシントン条約の規制強化案など、うなぎを取り巻く環境は厳しさを増しています。
土肥氏:本当に厳しいですね。今回の国際取引の規制については、国際取引はとりあえずできる方向に向かってはおりますが、まだ油断はできません。過去には覆された例もありますので、楽観視はしていません。
日本の漁師さんたちは非常に真面目で、乱獲するわけではなく、漁の時期も領域も守っています。しかし、国際的な視点で見ると、日本も中国もアジア圏として一緒くたにされてしまうという懸念があります。特にEU(欧州連合)は、アジアのルートでヨーロッパ諸国にうなぎが流れているのではないか、といった流通経路や、国際取引そのもののあり方を非常に懸念しているようです。
価格の高騰も深刻です。私が伊豆榮に入った30年前、一番安いうな重は1200円でした。それが今は3倍以上の3960円です。これは稚魚がいなくなっているのが一番の原因で、地球温暖化や、地殻変動や潮の流れが変わってしまったことも影響していると考えています。
また、昔は夏場の「土用の丑の日」にウナギの消費が集中し、秋口には消費が落ちて価格も下がっていました。しかし、今は加工技術が進み、スーパーなどで一年中うなぎの加工品が売られるようにはなりましたが、秋口になっても価格が全く下がらなくなってしまいました。ここ20年ほど、価格が下がることはありません。それに加えて稚魚の量が少ないのですから、価格はどんどん高騰していく一方です。
ただ、今は各所で完全養殖の研究も盛んです。多くの企業が巨額の資金を投じて、養殖ウナギを市場に出そうと懸命に研究しています。価格はまだ安定していませんが、そう遠くない未来に市場に出回ることを期待しています。

航空会社から老舗女将、そして社長へ。想像を絶する困難と覚悟
新しく取り入れたことや改革されたことはありますか?
土肥氏:先代社長である父の頃と変わったのは、雇用環境、働き方の改革を進めたことです。父は「働かなければ前には進めない」という考え方でした。それもわかりますが、皆が疲弊してしまうような働き方は良くない、続かないと思うんです。
現在は全体で約220人のスタッフがおりますが、長時間労働が当たり前という環境を改善し、週休2日を必ず取るようにしました。事務職とは違うので残業はありますが、きちんと手当としてお支払いしていますし、有給休暇もきちんと消化してもらうようにしています。
また、コロナ禍は飲食店にとって非常に苦しい時期でしたが、今思えば様々なことが改革できたきっかけになりました。
具体的にどのような改革ができたのでしょうか?
土肥氏:労働環境改善に加え、もう一度、職人さんをきちんと育てて、日本料理の繊細さや美味しさを伝える術を学ぶきっかけを考えるきっかけになったと思います。
緊急事態宣言下では2カ月ほど店を閉めましたが、職人には交代で出勤してもらい、色々な企画のお弁当を作ってもらいました。職人さんは手を動かしていないと腕がなまってしまい、彼らの命を奪うようなものだと分かったからです。とにかくやれることをやって、お弁当を一生懸命売りました。
私は、職人さんは「胃の中の蛙」になってはいけないと思っています。たまには休日に他の店に行って美味しいものを食べてみる、他店のうなぎと比べてみる、この盛り付けはどうなっているのだろう、どうやって作るのだろうと、自己啓発してほしいという思いがあります。お客様にご満足いただけるもの提供するためには、とても大切なことだと感じています。
人が育む食文化と上野の未来…継承したい職人の技術
仕事へのやりがいを感じる瞬間はどのような時ですか?
土肥氏:やはりお客様に「おいしかったよ」、「また来るね」、「伊豆榮に来るとホッとするよ」といったお言葉をいただけると、本当に良かったなと思います。その一言が、私たちの最大のモチベーションです。
仕事においては「人」を大切にしています。今、伊豆榮には日本人だけでなく、外国人のスタッフが非常に多いんです。異国の地で頑張るということは本当に凄いことです。人を大事にしなければならないという意識があるからこそ、人柄のいい方たちが集まってきてくれるのかなと思います。
今日(取材日)の空は快晴です。これまでの人生を空に例えると、どんな天気になりますか?
土肥氏:気持ちの中では快晴です。自分の気持ちに余裕がないとすぐ曇りになったり小雨が降ってきたりするので、どんな時でも笑顔でいられるようにしたいです。

これまでで一番のハレの日はいつですか?
土肥氏:今です。凄く大変ですけど、非常に幸せだなと感じています。先日、孫のお宮参りに行ってきましたが、赤ちゃんがいるだけで、みんなこんなに笑顔になるんだなと実感しました。結びつきが固くなるというか、生命の尊さを感じた一瞬でした。
未来のハレを実現するために、今後のビジョンをお聞かせください。
土肥氏:和食は世界に誇れる素晴らしい芸術品ですが、職人さんの数が減っています。そういった人たちを増やすためにも、私たちにできることを考えていきたいです。今までは自社の職人さんを作るだけで精一杯でしたが、今後は「寺子屋」のような形で、子供たちや若い人たちに、ウナギや日本料理の繊細さ、美しさに触れられる機会を提供できたらと考えています。
うなぎ料理は「串打ち三年、裂き八年、焼き一生」と言われますが、今でもベテランが反省するほど奥が深い。自動の機械もありますが、職人の手の温もりは全く違うんです。人がさばいて串打ちするとうなぎは波打ち、そこにタレが染み込みやすくなります。この繊細な工程を経るからこそおいしい。この「日本の食のすごさ」を伝えていきたいですね。
また、上野の街の復興にも力を入れたいです。道の駅のようなものがあってもいいと思うんです。本店のフロアには以前、人気のあった掘りごたつのお席がありましたが、一度全部取っ払って、今は空いている状態です。そういう場所で何か楽しいことができればいいですよね。
上野は昔、就職列車で出てきた方々が一から頑張って財を成してきた「ウエルカム」な土地です。文化財、美術館、博物館、寛永寺、動物園と、良いところがたくさんあります。その上野の良さをもう一度取り戻し、街とお店が一体化して盛り上げていければと思っています。
取材を終えて 撮影小話
大塚:伊豆榮さんとは1年ほど前に保険や資産運用の考え方についてのアドバイスを重ねていく中で、最終的に女将でもある土肥社長とお会いする機会をいただきました。銀行さんが分けがちな法人と個人の保険や資金の考え方を、私たちが扱う商品の範囲で説明させていただいたのが始まりでした。
土肥氏: 元々は上野法人会で、うちのスタッフが大塚さんを見つけてくれたんです。それまで、会計事務所からアドバイスをもらっていたものの、資金繰りが非常にずさんな結果になっていたことがコロナ禍で判明し、立て直しを図っていたんです。そんな状況で大塚さんと出会い、資金運用や保険のあり方など、様々なことをレクチャーしていただきました。目から鱗が落ちるようなアドバイスばかりで、「ああ、そういうこともできるんだ」と気づかされました。本当に頼れるブレーンです。
大塚:伊豆榮さんと他のうなぎ料理屋さんとの違いは「和食」という文化が入っている点だと思っています。うなぎのみならず、コースで召し上がっていただくと、四季折々の日本料理も楽しんでいただけます。
土肥氏: その通りですね。うなぎだけではなく、日本の食文化の奥深さを感じていただきたいです。ぜひ一度、上野に足を運んで堪能していただけたら幸いです。
大塚:本日はありがとうございました!これからもよろしくお願いいたします!

















