今回は、江戸末期の創業以来、170年以上にわたって仏具販売と葬祭業を営む大森仏具店 蕨川口葬祭(埼玉・蕨)の大森妃佐(ひさ)取締役に取材を実施。かつてプロゴルファーを目指し、米国留学やプロテストへの挑戦を重ねながらも、父の病をきっかけに家業へ戻ることを決断。伝統を守りつつ、時代の変化に合わせた柔軟な提案を続ける大森氏に、仕事へのストイックな姿勢と、地域に根ざした葬儀のあり方、そして家族への深い感謝について伺いました。 (聞き手:ハレノヒハレ 猪股恵美 編集:内田勝治)
江戸末期に仏具販売からスタート…父が拓いた葬祭業の道
――まずは、御社の歴史について教えてください。
大森妃佐取締役(以下、大森氏):弊社は江戸末期の安政元年に創業しました。西暦で言うと1854年ですから、もう170年以上になりますね。もともとは仏壇・仏具の販売から始まりました。私の祖父は仏像を彫る職人でしたし、母も嫁いできた頃は、お位牌に金箔を貼ったり、文字を彫ったところに金を入れたりする手作業を家でやっていたんですよ。
――そこから葬祭業も手掛けるようになったのは、どのような経緯だったのでしょうか。
大森氏: 約40年前、父の代からです。仏具の販売だけでは、時代の流れとともに客単価や売り上げが落ちていく傾向にありました。そこで父が「葬儀から一貫してサポートできるように」と、葬祭業を始めたんです。仏具店が自ら葬儀の施工まで行う会社は、実はこの界隈では珍しいかもしれません。 現在、母が7代目の代表取締役を務めています。私は25歳で家業に入ったのですが、その半年後に父が他界しました。私もまだ若く、経験もありませんでしたので、そこから母が矢面に立って会社の暖簾(のれん)を守ってきました。
――地元の子どもたちとの交流もあると伺いました。
大森氏: はい。毎年、近くの小学校2年生が「町探検」という授業で、5~6人ずつ店に来てくれるんです。商店街のお店に興味を持って質問しに来てくれるのですが、今の時代、お仏壇がない家がほとんどで、子供たちにとって仏具店は「これなあに?」と不思議なものが並ぶ場所なんです。お盆にお墓参りに行くよりもレジャーに行くことが当たり前になった現代だからこそ、こうした交流を通じて「ご先祖様を敬う場所」があることを知ってもらうのは、170年続く店としての役割かなと感じています。

プロゴルファーを諦め家業継承を決断「ホッとした自分がいた」
――大森取締役は、最初からこの歴史ある家業を継ぐつもりだったのでしょうか。
大森氏:いえ、全く(笑)。学生時代は本気でプロゴルファーを目指していました。高校もゴルフの強豪校に進ませてもらい、卒業後は米国へ2年半ほどゴルフ留学に行かせてもらったんです。帰国後も静岡の御殿場を拠点に、ゴルフの練習に明け暮れる毎日でした。 プロテストを2度受け、いずれも最終日まで残りましたが、合格には至りませんでした。スポーツの世界は本当に残酷で、どれだけ努力しても結果がすべてです。3回目のテストを控えた時期、体調を崩した父から「帰ってきてほしい」と言われました。
――その時、どのようなお気持ちでしたか?
大森氏: 正直に言えば、どこかホッとした自分がいたんです。プロの世界で食べていけるのはほんの一握り。続けるのにもパワーがいりますが、辞めるのにも大きなパワーがいります。父の言葉が、諦めきれずにいた自分にとって、家業に戻るための「正当な理由」になったというか…。母は今でも「あの時続けさせてあげたかった」と申し訳なさそうに言ってくれますが、私自身は、父と一緒に仕事ができた1年足らずの時間は、何物にも代えがたい経験だったと確信しています。
――家業に入ってみて、それまで見ていた景色と違いはありましたか?
大森氏:お恥ずかしい話ですが、私は「うちはお金持ちなんだ」と思って育ってきたんです(笑)。欲しいものは何でも買ってもらえたし、ゴルフで米国留学までさせてもらいました。でも、25歳で実家に戻り、いざ自分が商売の現場に立ってみたとき、1万円、10万円を稼ぐことがどれほど大変か、身に染みてわかりました。あの頃、「試合に出るからお金を振り込んでほしい」とか、よくもまあ言っていたなと、恥ずかしく、申し訳ない気持ちになりました。両親がどれほどの苦労をして私を育ててくれたのか。その感謝が、今の私の仕事の原動力になっています。
――仏具の販売においても、その「誠実さ」が表れていますね。
大森氏:私たちが扱う仏具は、決して安くはありません。でも、それには理由があります。福島県会津若松市にあるメーカーと取引していますが、お仏壇一本を作るのに、木を切り出してから5年から10年かけることもあるんです。水に浸けては乾かし、を繰り返し、最終的に湿度管理された機械で水分量を13%前後に整える。そうしないと、数年後に日本の四季の湿度変化で木が反ったり、観音扉が閉まらなくなったりするからです。
――インターネットで安く買える時代ですが、そこについてはどうお考えですか。
大森氏:値段だけで選ぶ方を否定はしませんが、お仏壇は何十年、何百年と引き継いでいくものです。うちは「良いものを長く、大切に守りたい」という方に、納得いただけるものを正直にお届けしたい。最近は「お墓じまい」をする方も増えていますが、仏壇・仏具はまだ、「誰かしら家の中にいるから置いておこう」と考える方が多い。その大切な空間を支える責任が私たちにはあります。

「生きている人の方がよっぽど怖い」――死生観を形作った環境
――葬儀という「死」に直結するお仕事ですが、怖さを感じることはありませんか?
大森氏:生まれた時から仏具に囲まれて育ちましたから、全くありません。小6で祖父が亡くなった時も、隣でお昼寝をしていたくらいですから。友人には驚かれますが、私にとってはそれが日常でした。「死んだ人を触るのが怖くない?」と聞かれることもありますが、私に言わせれば生きている人の方がよっぽど怖いですよ(笑)。
――とはいえ、現場では過酷な状況もあるかと思います。
大森氏:そうですね。病院で亡くなる方ばかりではありません。警察へのお迎えも多いのですが、孤独死、交通事故死、自死…。検視後の故人様は、必ずしも「綺麗な状態」ではありません。特に匂いは強烈です。脳みそを突き抜けるような匂いが、一日中鼻に残ることもあります。シートをめくる瞬間は、どんな状態かわからないので、自分を奮い立たせるために心臓に力を入れます。変わり果てたお姿を見て、悲しくなることもありますが、それでも「最後は綺麗に送り出してあげたい」という一心で向き合っています。
――最近は葬儀の簡素化が進んでいますが、経営的な影響はいかがでしょうか。
大森氏:コロナ禍を経て、小さな葬儀、もう家族葬は当たり前で、一日葬※も割合で言えば80%を超えています。大手さんは豪華なCMや「8万円から」といった格安プランで集客されますが、実際には追加費用がかさむケースも多い。私たちは自前のホールを持たず、維持費を削ることで、無駄なパック料金を排除しています。「安価に」と言ってしまうと語弊がありますが、「必要なものを、必要な分だけ、適正な価格で」という、父が残してくれた考え方を守っています。※お通夜を行わず、葬儀・告別式と火葬を1日で執り行う葬儀形式
――他社との「違い」はどのような点にありますか?
大森氏:例えば、生花へのこだわりです。最近は造花の祭壇でコストを抑える業者も多いですが、うちはお断りしています。最後のお別れの時、祭壇を彩った本物の花をすべて切り出し、棺の中に溢れんばかりに納めて差し上げる。それが、故人様を送り出す私たちの誠意です。
また、会食ができない今の時代だからこそ、故人の好きだったお料理をお弁当にしてお持ち帰りいただくような提案もしています。たとえみんなで集まって食べられなくても、その「気持ち」を持ち帰っていただく。形は変わっても、残された方々が故人を想い、語り合う時間をどう作るか。精進落としの意味合いもありますし、葬儀が簡素化されても、そういう伝統や文化はなくしてはいけないものだと思っています。
相手の物差しで測らない…「聞くこと」に徹する商売の極意
――お客様へのヒアリングで気をつけていることはありますか。
大森氏:葬儀も仏壇もそうですが、お客様が「うちはお金がないから」とおっしゃっても、それを自分の物差しで測ってはいけないということです。本当にお金がなくてお困りの方もいれば、お金は持っているけれど「これには出したくない」という方もいる。逆も然りです。大切なのは、その方が何を欲しているか、何を重視しているかを徹底的に聞くこと。自分の主観で「これは高いから売れないだろう」と決めつけると、本当に良いもの、その方に必要なものが提案できなくなってしまいます。
――かつては15名ほどいらした社員さんも、今はご家族中心だとか。
大森氏:そうですね。以前はお花屋さんも自前でやっていましたが、今は外注に切り替えました。特定の業界に特化した人材会社を活用するなど、時代の変化に合わせて「少数精鋭」に形を変えてきました。10時から17時半までは店舗は開けていますが、それ以外の時間でも、事務所にかかってきた電話は常に私の携帯に転送されるようになっています。深夜の病院へのお迎えも私が行きます。大変ですが、最初から最後まで責任を持って対応できることが、うちのような小さな会社の強みだと思っています。
――大手葬儀社には真似できない、きめ細やかな対応ですね。
大森氏:葬儀の打ち合わせから施工、そしてその後の四十九日やお位牌の準備まで、私が一貫して関わることでお客様との間に深い信頼関係が生まれます。葬儀を通じて「この人なら何でも聞ける」と思っていただく。そのコミュニケーションこそが、何にも代えがたい財産だと思っています。
――過酷なお仕事ですが、今の心境を空に例えると?
大森氏:私の心は、だいたいいつも「晴れ」ですね。あんまり深く悩まない、楽観的なタイプなんです。自分にも他人にも期待しすぎず、「まあ、しょうがないか」と受け入れる。でも、努力をすることは嫌いじゃないんです。ハマるとストイックに突き詰めますが、ダメだと思ったらスパッと諦めて次へ行く。「努力はするけど、結果には執着しすぎない」。このバランスは、間違いなくゴルフが教えてくれたものです。
――最後に、読者やお客様に向けてメッセージをお願いします。
大森氏:正直、これからの時代は本当に厳しいと思っています。安政元年から続くこの店を、どう切り盛りしていくか…。正直、かっこいい展望は言えません。贅沢をしなくても家族が食べていけるだけで十分だと思っています。でも、ご先祖様が繋いでくれたこの場所で、困っている誰かの「最期」に寄り添い続けること。大手さんのような発信力はありませんが、目の前の一人ひとりと「嘘のない対話」を重ねること。それだけは、これからも実直に続けていきたいです。
取材を終えて 撮影小話
大森氏: 猪股さん、今日はありがとうございました。私、勧められたら「まずはやってみる」タイプなので、この「ハレ街プロジェクト」でも、どんな新しい繋がりが生まれるか楽しみにしています。
猪股:こちらこそ、ありがとうございました! 実は私、ここにお邪魔するたびに、取締役と社長の明るさにいつも元気をいただいているんです。今日お話を聞いて、取締役の根底にあるご家族やご先祖様への深い感謝に、改めて胸が熱くなりました。
大森氏:猪股さんは本当にマメに顔を出してくれて、いろんな情報を教えてくれますよね。私、保険とか「安心」のための備えは大好きなんですけど、内容をすぐ忘れちゃうので(笑)。だから、猪股さんのように「任せて安心」と言える方がいてくれるのは本当に心強いです。
猪股:そう言っていただけて光栄です。社長が取締役を、取締役が社長を、互いに尊敬して大切にされているのが伝わってきて…。人生の最期に、こんな愛情溢れる方たちに伴走してもらえたら、故人様もご家族も幸せだろうなと、一人の人間としても感じています。
大森氏:ありがとうございます。170年続く会社の灯を守るプレッシャーがないわけではありませんが、これからも猪股さんのような信頼できるパートナーに相談しながら、気負わず、自然体で歩んでいければと思います。
猪股:大森仏具店さんのような、誠実で温かい企業さんの存在を、もっと多くの方に知っていただけるよう、これからも全力でサポートさせていただきます!


















