ハレ街メディアでは、未来のハレを創り出す挑戦者たちの物語を発信しています。今回は、ビーツを主力に加工用野菜の生産、販売、加工品販売を手掛けるあさぎり農園(熊本・あさぎり町)社長の矢神活朗氏に取材を実施。これまでの事業展開や苦労したこと、そして社長が考える「ハレノヒ」についてお話を伺いました。
(聞き手:ハレノヒハレ 稲葉晴一 編集:カワラバン西田かおり・宮田舞)

加工用野菜で、色とりどりの野菜粉末を開発。真っ赤なビーツとの出会い
まずは御社の事業内容について改めて簡単にお聞かせください。
矢神活朗社長(以下、矢神氏):弊社の農園は、熊本のあさぎり町にあります。ここは早朝から午前中にかけて霧がかかり空気がとても冷たいのですが、午後からは穏やかに晴れ上がるという寒暖差の激しい土地です。野菜の栽培に適したこの土地で、主に加工用のビーツや緑黄色野菜などを生産しています。また、農業でありながら、自社で生産した加工用野菜を使った商品開発やネットショップの運営にも力を入れています。
脱サラして実家の農家を引き継いだのですが、以前は薬や化粧品などを販売する会社に勤めていました。大学でも商業を学んだため、それらの経験も生かして事業を展開しています。加工用野菜の生産から販売まで手掛けていますが、食品の加工工場はないため、加工品の製造は契約会社に委託し、でき上がったものを弊社で販売しています。
加工用野菜は、スーパーで売られる野菜とはどう違うのでしょうか?
矢神氏:品種も育て方も全く違うんですよ。スーパーに並ぶものは、見た目がきれいで、料理をするときに扱いやすいサイズが好まれます。そのため、虫食いがないように十分に農薬を使い、小ぶりのうちに収穫するのです。一方で加工用野菜は、見た目の良し悪しはあまり関係がないため、低農薬で育てられます。また、工場で加工するときに大きな野菜の方が手間を減らせるので、種と種の間隔を広く空けて大きく育つ品種を育て、十分に育ちきってから収穫します。
加工商品の開発・販売に目をつけた理由をお聞かせください。
矢神氏:もともと両親が、加工用のほうれん草や小松菜を生産し、それを冷凍食品工場などに卸していました。それらの野菜を他の加工商品として活かせないかと考え、緑色の野菜粉末を作ってみたのが最初でした。粉を混ぜ込めば色が鮮やかになり野菜の栄養もプラスできますから、パンや麺類の製造で使ってもらえるのではないかと考えたのです。
ところが当初は、お客様になかなか受け入れてもらえませんでした。毎日100軒のパン屋に電話をかけても、話を聞いてくれるのが1日5軒程度。パンフレットを見てくれるのも1軒あるかどうかといった感じです。今思えば営業手段が適していなかったと分かりますが、断られ続けていた当時は、自分が悪いことをしているのではないかと錯覚してしまうほど、心が折れそうな時期もありました。しかし、展示会に出展してみると、新しい商品を探している方たちに見つけてもらえるようになりました。
現在では豊富なラインナップがありますね。
矢神氏:緑色の野菜粉末を使ってくださったお客様から「他の色もできないか」とご要望をいただくようになり、それに応えて商品ラインナップと栽培する野菜の種類が増えていきました。黄色はかぼちゃ、オレンジ色は人参を使って上手くいったのですが、赤色の野菜粉末は原材料にかなり悩みました。パプリカでは思うような色にならず、唐辛子では辛すぎますしね(笑)。
どうしたものかと頭を抱えていたときに、道の駅で「ビーツ」を偶然見つけたのです。初めて見る野菜でしたが、ひとまずやってみようと。何度も試行錯誤し、ビーツを加工した赤色の野菜粉末が完成しました。
ビーツという野菜を初めて知りました。どんな野菜ですか?
矢神氏:赤カブのような見た目の根菜で、芯まで鮮やかな赤色をしています。砂糖の原料にもなるサトウダイコン(テンサイ)の仲間で、自然な甘みを感じる味です。”食べる輸血”と呼ばれるほど豊富な栄養を含んでおり、美容と健康に役立つとされています。近年ではメディアでも紹介されるようになり、弊社へのお問い合わせも増え、注目が高まっていると感じています。

あえて選ばなかった農業の道で、新たな挑戦へ
ご実家が農家でありながら、一度は会社勤めを経験されたとのこと。その理由をお聞かせください。
矢神氏:小学生の頃は「将来は農家になるんだ」と自然に思っていました。ですが、中学生くらいになったときに、サラリーマンになりたいと考えるようになりました。というのも、両親が朝早くから晩遅くまで働いていても、子ども時代はあまり裕福とは言えない暮らしだったんですね。当時、養豚もしていたので、周りの友人たちのように家族旅行にも行けなかった。生活にゆとりがあり、欲しいものを買え、旅行もできるような暮らしに憧れがありました。
そのため、高校は農業高校ではなく普通科の高校を選び、アルバイトをしながら商業系の大学に通いました。卒業後は、薬や化粧品などを販売する会社に入職し、小売店の店長をしていました。
その後、農業をやろうと思ったきっかけをお聞かせください。
矢神氏:小売店の仕事自体は楽しかったのですが、中間管理職を任せてもらうようになった頃からジレンマを感じるようになり、自分の力でなにか事業をしてみたいと思い始めました。農業は後継者不足が深刻でしたから、新規事業を興すフィールドとしてチャンスがあるのではないかと考えたのです。それで、会社を辞めて農業をやりたいと父に伝えました。
お父さんの反応はいかがでしたか?
矢神氏:喜んでくれましたね。私には姉と妹がいますが、父は後継ぎを諦め、それまでは設備投資を控えていたようです。私が農業をやりたいと伝えたら、知らないうちに空き農地を次々と購入していました。ありがたいですが、驚いたというのが正直なところです(笑)。
会社を退職してそのまま父に弟子入りしても良かったのでしょうが、一度は他の師から学ぶべきだと考え、1年間農業学校に通いました。2009年に父のもとで就農し、父から栽培ノウハウを教わりながら、師匠から加工の分野も学び続けました。今は父の事業の経理も一本化して、私が担っています。
人生や事業を振り返って、一番苦労したエピソードをお聞かせください。
矢神氏:先ほどお話しした赤色の野菜粉末は、原材料探しにも苦労しましたが、それ以上にビーツの栽培が大変でした。ビーツは寒さに強い野菜なので、国内では北海道や長野で育てられています。寒暖差の大きい九州のあさぎり町では、育つのかどうか全く分かりませんでした。
近隣の農業関係者に聞いても栽培ノウハウを知っている人がおらず、種袋の裏のわずかな説明が頼りでした。1週間ずつ種を蒔く時期をずらして実験したり、肥料や農薬の使い方を試したりして、5年かかってようやくこの土地に適した栽培方法がつかめました。先の見えない挑戦でしたが、無事に安定収穫できるようになり、本当に良かったです。

コロナで卸し先の工場がストップ
矢神氏:ほかに苦労したことといえば、新型コロナウイルスがまん延していた時期ですね。どの業界も大変だったと思いますが、弊社も例外ではありませんでした。小中学校の休校で給食がなくなり、飲食店も休業。これらに伴い需要が減り、食品工場もストップしてしまいました。卸す先がないので、畑の野菜は収穫の時期を逃し、最終的にトラクターですべて土に混ぜ込むしかない状況でした。
丹精込めて育てた作物が、そんなことに……。想像するだけで胸が締め付けられます。
矢神氏:苦しかったですね。売り上げがない状況でも借地代の負担だけが重なっていくので、一部を地主に返し、仕事もないのでパートで来てくれていた方たちも次々と辞めていってしまいました。
ようやく日常が戻ってきたときには、土地も働き手もかなり少ない状態でしたから、これまでのやり方を変える必要がありました。そこから、新しい加工商品の開発により力を入れていくことにしたんです。苦しい時期ではありましたが、今思えば事業転換の良いきっかけだったなと思います。
苦しい局面をチャンスに変えてきた矢神さん。未来のハレを実現する原動力は何なのでしょうか。
矢神氏:子ども時代に憧れた、ゆとりのある暮らしをしてみたいというのが、今も自分の目標です。もちろん自分だけでなく、妻や子どもたち、両親、この農園で働いてくれている人たちのステータスを上げたい。そのために経営者として何ができるかといつも考えています。その思いを持ち続けていることが、苦しいときでもくじけず、前進していこうというエネルギーになっているのかもしれません。
今までの人生で一番の「ハレノヒ」はいつでしょうか?
矢神氏:長女が生まれた日ですね。当時、農業学校に通い、収入のない状況だったんです。もちろん、それまでも一生懸命にやっていたんですが、家族のために本当に気合いを入れて頑張らないといけないなと、ひしひしと感じましたね。あの日を思い出すだけで、身の引き締まる思いがします。忘れられない日ですね。

今後の具体的な目標や読者のみなさまへのメッセージなどをお願いします。
矢神氏:ぜひ、ビーツのすごさを知っていただきたいです。まだまだ国内では、ビーツそのものの認知度が低く、知る人ぞ知る野菜になっています。ですが、ビーツに含まれる様々な成分が健康面や美容面で注目されていますし、今後ますます人気が高まってくる野菜なのではないかと思います。「奇跡の野菜」と言われるビーツを多くの人に知っていただき、ビーツ生産日本一の会社にしたいと考えています。
取材日の本日、あさぎり町は暑すぎるほどの快晴です。この天気を人生に例えるといかがでしょうか。
矢神氏:快晴といえば、昔なら楽しいことを思い浮かべたでしょうが、暑い日の農作業はかなり身体に堪えますから、今ではしんどいイメージが強いですね。人の力で天気は変えられないので、その日できることを一生懸命やるしかないと思っています。今日は梅雨の中休みでちょうど土が乾いたので、今のうちにネギを植えなきゃなあとか、そんなことを考えながら毎日を過ごしています(笑)。
取材を終えて 撮影小話
稲葉:本日は貴重なお話を聞かせてくださり、ありがとうございました。数々の困難を乗り越えながらも、加工用野菜という切り口で新しい市場をつくり、地域の可能性まで広げていく矢神さんの姿勢からは、経営者としても多くの学びを得ました。
農業は肉体的にもハードであり、大変な仕事だと理解していたつもりでしたが、矢神さんのお話を伺い、その「大変さ」の奥にあるものを、もう少し感じ取れたように思います。その土地で前例のない、ビーツの生産を成功させたという矢神さんのすごさを改めて感じました。
矢神氏:そう言っていただけて光栄です。実は、稲葉さんと出会うまで総合保険を知らなかったのですが、良いプランを提案してもらえたおかげで、歳を重ねるのが楽しみになりましたよ。
稲葉:矢神さんが人生の目標だとおっしゃっていた“ゆとりある暮らし”もきっと実現に近づいていきますね。矢神さんの取り組みは、関わるすべての人の「ハレノヒ」につながっていくと思います。これからも全力でサポートさせてください。
矢神氏:はい、よろしくお願いします。
